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熱中時代〜暗唱のすすめ

 子どもたちが百人一首の札を覚える早さに驚かれる声をいろいろな機会にうかがいます。

「まるで乾いた砂地に水を注いでいるようにどんどん覚えていく」
 という的確な比喩を、暮れの面談のときに教えていただきました。
 また先日の新年会のあとも、
「子どもたちの記憶力にはただ脱帽です」
 というお便りをいただきました。

 ほんとうにそのとおりですね。以前、暗唱では「まだぼくの方が強い」などと書きましたが、それも撤回しなければいけません。

 ところで、子どもたちが百人一首に取り組む様子を見ていて、こんなことを考えてみました。そのキーワードは“熱中”です。


 新年会での対戦をご覧になって、子どもたちが百人一首に熱中している姿を肌でお感じになられたと思います。ご家庭でも毎晩毎晩「札を読んで」とせがまれているのではないでしょうか。

 まわりのことを何もかも忘れて一つのことに熱中できるのは、子どもの特権です。
(逆に言うと、何かに熱中できない子どもはおそろしいとも思います)

 大人はそうはいきません。あれほど純粋に百人一首にのめりこむことはできません。
 大人でも何かに熱中することはある、とは思います。ただ、そういうときの“熱中”は子どもの“熱中”とは違うような気がするのです。

 大人のそれはどこか打算的です。「これを一生懸命やれば〜のためになる」とか、「〜に役立つから全部覚える」とか、どこかに計算が働いているのです。
(我を忘れて何かに純粋に熱中できる大人のことを「子どもみたい」 と形容しますが、そういう大人って、とてもすてきだと思います)

 百人一首なら、中学・高校で古文を習うときにたしかに“役に立つ”でしょう。でも、子どもはそんなことを考えながら百人一首を覚えているのではありません。札を覚え、取りあうことが純粋に面白いから、熱中できるのです。

 円周率という不思議な数があります。円の周や面積を求めるときに使われる定数で、ふつうギリシア文字のπであらわされます。現在コンピューターで10億桁以上まで計算されているのですが、それでも割り切れていない数です。

 12月に算数でこの円周率を取り上げたときに、これを20桁以上暗記してくる子がいました。小学校の算数ではπではなく近似値の3.14で代用しますから、小数点以下20桁覚えても何の得にもなりません。それでも子どもたちは夢中になって、10桁覚えた、20桁まで言える、とやっているわけです。

 東海道線各駅停車の駅を東京から神戸まで暗唱するとか、東海道五十三次を江戸・日本橋から京都・日本橋まで覚えるとか、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズの書名を45巻順に言えるようにするとか、セパ12球団の名称とフランチャイズ球場をぜんぶ暗記するとか、覚えても何の役にも立たないことに我を忘れて熱中できるのが子どもです。熱中は子どもの特権です。

 上の例は、実はぼくのことです。ぼくは小学校6年生のときに東海道線と東海道五十三次を暗記しました。円周率も20桁覚え、これは今でも言えます。日本酒のふたを集めて銘柄を何十種も覚えるとか、「タイガーマスク」に登場するレスラーの名前をぜんぶ暗記するとか、なぜか毒にも薬にもならないことに熱中している子どもでした。

 両親はそういうぼくに対して、
「そんなことばかり覚えていないで、すこしは漢字でも覚えたらどう」
 とは決して言いませんでした。もしかすると心の中ではそう思っていたかもしれませんが、少なくともぼくにはそれが感じられませんでした。ですから安心して(!)毒にも薬にもならないことを覚えるのに熱中できたのだと思います。

 子どもの頃の熱中のおかげで今のぼくがある、とはとうてい思えませんが、あの時代に何かを夢中にやっていたという経験が人格形成に、もしかしたらその後の“脳力”の伸長に、何らかの影響を与えていることはたしかです。


 みなさん、お子さんは何かに熱中していますか。そしてみなさん自身は何か熱中できるものがありますか。

*『虎猫堂通信』(1990年度5年3組学級通信)No.195-1991-01-14


web『たまてばこ』 No.493 2004-01-31-Sat