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web『たまてばこ』特集

子どもを見る目

ある雑誌に連載した“教室エッセイ”全12回の復刻版



     





「当番」をなくしてみたら

子どもを見る目1

 日本中どこでもたいていの教室には、授業で使った黒板をきれいにする「黒板係」という係(当番)があるだろう。そうでなければ、「日直」という当番がそれをすることになっているだろう。

 教師になりたての年、2年生を担任したぼくは、あたりまえのように係や当番をたくさんつくった。
 電気をつけたり消したりする「電気係」、窓の開け閉めをする「窓係」、植木の花に水をやる「花係」など、数えあげればきりがない。
 だが、子どもたちの様子を見ていてこれはよくないと思い、ほとんどの係や当番をなくしてしまった。
 こんな理由からである。

 たとえば、体育の授業で運動場へ行く。「電気係」の子は最後に教室を出て、電気を消していくのが仕事である。その子がたまたま仕事を忘れ、電気をつけたまま運動場に出てしまった。
 あとから運動場にやってきた別の子が、電気係の子にむかって、さも誇らしげに言う。

「○○、おまえ電気係だろ。電気がつけっぱなしだったから、消してこいよ」

 その子にとっては、当番の子が仕事を怠っているのを見つけたのだから、注意するのはあたまりえのことなのだろう。
 しかし、これはおかしい。当番の子が電気を消さずに行ってしまったことに気づいたら、かわりに消してあげればいい。電気はそのままで、運動場にいる当番の子に注意しにくることもないだろう。

 融通のきかない低学年のことだから、と言ってしまえばそれまでだが、これではいけない。
「当番だから、仕事をする」
「当番じゃないから、自分は関係ない」
 という子になってしまう。

 そう考えて、どうしても必要ないくつかをのぞき、ほとんどの当番をクラスからなくしてしまった、というわけである。


 クラスの中から当番がなくなると、しばらくのあいだ、いろいろ困ったことが生じてくる。音楽室へ移動したあとの教室は電気がついたまま、蒸し暑い日でも窓は閉まったまま、授業を始めようとしても前の時間の板書が残ったまま、などということがしょっちゅうおこるのだ。

 そのたびに、ぼくはこんな話をする。

「当番というのは、みんながこのクラスで快適に生活できるように、必要な仕事をだれかに割りあててやってもらうものです。でも、『だれかに割りあててやってもらう』のでなく、『気がついた人が自分でやる』というほうがずっと気持ちがよく、自然なことだと思いませんか。
 暑ければそう感じた子が窓を開ければいいのだし、寒ければその子が閉めればいいでしょう。わざわざ当番の子にやってもらうこともないですね。
 ぼくは、みんなが『気がついたら自分でやる』という子になってほしいし、それがごくふつうになされるクラスになってほしいから、当番をなくしたのです。
 そういう子どもになれるといいですね」

 そのうちに、何も言われずに気がついて、仕事をしてくれる子が出てくる。そういう子を見つけては、
「きょうは朝から窓が開いていて、教室の中は新鮮な空気がいっぱいです。気持ちがいいですね。気がついて開けてくれた人、ありがとう」
 と、してくれたことを評価する。

 半年もすれば、たいていのことには困らず、クラスの生活ができるようになる。

 クラスの中から当番をなくすと、割りあてられてしかたなく仕事をする子のかわりに、自分から仕事を見つけてする子が育つようである。

*初出『教師の友』(日本基督教団出版局)1989年4月号

web『たまてばこ』 No.348 2003-03-09-Sun


人を思いやる心

子どもを見る目2

 4月。新学期が始まるとすぐ子どもたちに教えることのひとつに、「かさのしまい方」がある。
 かさについたしずくを昇降口で落としておくこと、ひらひらしないようにすぼめておくこと、かさたての中にまっすぐ立てておくこと、などなど。

 指導する前のかさたてのようすは、じっさいひどいものである。無造作に投げこまれたかさ、半ば開きかけたかさ、無理につっこまれたとしか言いようのないかさ、他人のかさの中に差しこまれたかさ、こんなかさのオンパレードである。
 かさたてのまわりはもっとひどい。バケツをひっくり返したように水浸しになっている。

 このありさまをひとつひとつ子どもたちに見せながら、かさのしまい方を指導していく。斜めになったかさを抜き取ってまっすぐ入れなおしたり、だらしなく広がったのをひもで縛ったりと、ぼくが目の前でやってみせたうえで、子どもたちにやらせる。

 一回教えたからといって、すぐにみんなができるようになるわけではない。雨が降るたびに同じことを繰り返す。しつこく繰り返す。

 ぼくのこんなやり方を「細かい」「細かすぎる」と評する人がけっこういる。
(そうかなあ)


 ぼくが「細かい」のはかさについてだけではない。掃除用具のしまい方もいちいち指導する。ほうきやちりとりがフックにぶら下げてあるか、ぞうきんが広げて干してあるかなど、書き並べていたらきりがない。

 ランドセルのしまい方にもぼくは文句をつける。上下どちらを手前に向けてロッカーにしまうか、がとても気になるのである。

 そのほか、提出物がどちらを向いているか、お手洗いのスリッパがそろっているか、机の横に不必要なものがかかっていないか、いろいろ気になる。そしてひとつずつ注意してまわる。
(やっぱり「細かい」かなあ)


 ぼくはなぜこんなに「細かい」ことにこだわって指導するのだろうか。
 たとえば、かさのしまい方。だらしなく見えるからそう言うのか。整理整頓が大切だからそう注意するのか。
 それらの理由がまったくない、とは言いきれないが、もっと別のわけがある。

 かさたてはクラスのみんなが使う。だれかひとりのものではない。かさが斜めにささっていたり、ひもで縛らずに立ててあれば、ほかの子が入れにくいだろう。
 掃除用具も同じこと。整理整頓のためでなく、次の子が気持ちよく使えるように、フックにかけ、広げて干すように指導するのである。

 「思いやり」とか「気配り」ということばがふさわしいかもしれない。
 「思いやる」とは、「思い」をこちら(自分)からあちら(相手)にやること、相手の立場に自分をおいてみて、相手がどんな思いをするかを考えること、と何かで読んだ覚えがある。

 他人はどうあれ、自分さえよければそれでいい、という風潮を感じる世の中だ。殺伐とした時代だからこそ、子どもたちに人を思いやる心を育てていきたい。
 それで、こんな細かいことにこだわっている。
(それでもやっぱり、ぼくは「細かい」かなあ)

*初出『教師の友』(日本基督教団出版局)1989年5月号

web『たまてばこ』 No.349 2003-03-14-Fri


自分の足で歩く

子どもを見る目3

 5年生3クラス、130人といっしょに工場見学に行ったときのことである。

 駅から工場までしばらくのあいだ、ガードレールのついた歩道がある。子どもたちは2列に並んで整然と歩いている。というのは建前で、出っ張ったりへっこんだりしながら、ときには4列、5列にまで広がって歩いている。

 途中でおばさんとすれちがった。先頭にいるぼくはその人とすれちがったあと、後ろを振りむき、子どもたちがどうするか見ていた。
 2列になっているところは、おばさんとぶつからずにすれちがっていった。

 行列のなかほどに、やけに出っ張っているところがあった。危ないなと思った瞬間、男の子とおばさんがぶつかった。
 その子があやまったかどうかはわからなかったが、ぼくは、ひとことその子に注意をしようと、速度をゆるめた。

 「衝突現場」に近づいたところ、その子がまわりの子に話す声が聞こえた。

「あのおばさんひどいよ。ぶつかってくるんだもん」
 
 ぼくは思わずかっとなり、
「何考えてるんだ。お前がよけないからぶつかったんじゃないか」
 とどなり声をあげてしまった。


 今度は、同じ5年生の子どもたちと遠足に行ったときのこと。

 歩行者用の信号が青になっている時間は20秒しかない。130人がいっぺんに渡ることは無理だ。さっさと歩いても2クラス目が渡りきれるかどうか、といったところである。

 さて、その横断歩道を渡っているとき、青信号が点滅を始めた。渡っている最中の子どもたちが、信号を見て走り出した。それにつられて、歩道の手前にいる子どもたちも走り出した。自分の前にいる子に遅れてはならじと、信号が赤になってからもあとからあとから渡っていく。

 ここでもぼくはどなってしまった。
「走るな。赤だぞ。止まれ」


 どちらの例も、そのときの子どもの気持ちがわからないではない。

 ぶつかった子にとっては、楽しくおしゃべりしながら歩いているところへおばさんの方から“ぶつかってきた”と感じられたのであろう。あるいは、前の子が走り出したのにつられて走ったというのだろう。1クラスの列が途中で切れるのはまずい、と子どもながらに考えたのかもしれない。

 でも、とぼくは思う。
 これでは子どもは自分の足で歩いていない。他人に引っ張られて歩いている。もっと言えば、受身の姿勢になっている。

 おしゃべりしながら歩いていてもいい。楽しくてつい4列、5列に出っ張ってしまうこともあるだろう。でも、むこうからおばさんが歩いてきたらどうしたらいいか、考えられるようになってほしい。
 信号が赤になったら、たとえ自分のところでクラスが分かれてしまっても、まわりの子につられずに自分の意志で止まれるようになってほしい。

 生きることは、自分の足で歩くことだから。

*初出『教師の友』(日本基督教団出版局)1989年6月号

web『たまてばこ』 No.350 2003-03-17-Mon


掃 除

子どもを見る目4

 わが5年2組に割り当てられている掃除場所は4か所。教室、昇降口、体育館、体育倉庫である。

 だれがどこを掃除するかを決めるとき、ふつうは次に書くような方法をとる。
 クラスの子をいくつかのグループ(班)に分け、グループごとに掃除場所を割り当てる。体育館は広いので人数を増やすなど、場所によって人数を調整したうえで、一日交替や一週間交替、あるいは一か月交替で掃除をする。

 ぼくのクラスでも、1学期のあいだはこれに似た方法で掃除場所を決めていた。が、2学期からはまったく別のルールにしてしまった。

<掃除時間になったら、クラスに割り当てられた掃除場所4か所のうち、自分が行きたいところへ行って掃除をする>

 というルールである。

 要するに、あなたはここの掃除をしなさいという掃除場所の“割り当て”を一切なくしてしまったわけである。

 もっとも、あまりに乱暴なルールなので、いくつかのことを付け加えておいた。掃除をしに行ったところに人がたくさんいたら、何でもいいから仕事を探して掃除をするか、人が足りないところへ回ること、行ったところにたとえ自分一人しかいなくても、一人で20分のあいだにできそうな仕事をしてくること、掃除が早く終わったら、教室に戻ってきて教室の掃除を手伝うこと。

 はたしてこのルールで掃除ができるだろうか。心配しながら様子を見ていた。

 薄暗い体育倉庫に何人もの子がひしめいて掃除をしていることがあった。たった2人で広い体育館にモップをかけていることもあった。教室を掃除する子が一人もいないこともあった。
 いろいろあったが、いいかげんに掃除をしている様子はさほど見られない。体育倉庫など、むしろ前よりきれいになった感じもする。


 ぼくは、子どもに「強制」することをできるかぎりなくしたいと思っている。たかが掃除場所でも、これから1週間体育館を掃除しなさいと強制されるのと、どこでも好きなところを掃除してきなさいと任されるのとでは、子どもにとって大きな違いだ(と思う)。

 強制すると、子どもに考える余地がなくなる。与えられた仕事をそつなくこなすだけの、受動的な子どもになってしまう。

 同じ掃除をするにしても、「新ルール」なら、今日はどこの掃除をしようかとまず考える。人数が多くて用具が足りなければ、用具なしでできる仕事を探そうと考える。人手が少なければ、少ないなりにできる掃除を考える。
 強制をなくせば、ある行動を起こす前に、何か考えるようになる。考えて行動した結果がたとえうまくいかなくても、行動の前に思考が働くと働かないとでは大違いだ。

 それで「行きたいところへ行って掃除をしてきなさい」というルールができあがったわけである。

 子どもたちの声を聞くと、大部分の子が「このルールの方がいい」と言っている。

 もっとも、「楽なところの掃除ができるからこの方法がいい」という子もいないではない。子どもはやっぱりしたたかだ。

*初出『教師の友』(日本基督教団出版局)1989年7月号

web『たまてばこ』 No.351 2003-03-20-Thu


修学旅行にて

子どもを見る目5

 修学旅行のしおりを作ることになった。

 以前のしおりを参考に「日程」「持ち物」と書いていったが、「諸注意」のページになって筆が進まなくなってしまった。

 参考にしたしおりには「電車の窓から物を投げない」「よくかんで食べる」などの注意から、おこづかいの金種(金額ではない)まで、こと細かに書いてある。
 どれもあたりまえのことばかり。6年生にむかってここまで注意をしないといけないのかと情けなく思い、書けなくなってしまったのである。

 そこで、考えた末に、たったひとことこう書いた。

「心がまえ 私は○○小学校の6年生です」

 私は誇りある○○小学校の6年生です。じゅうぶん考えて行動し、行動の結果に責任を持ちます、というような意味である。

(じつは心配になって、これに続けてあと18項目も「諸注意」を書いてしまった。参考にしたしおりの悪口など言えたものではない)


 修学旅行は5月中旬の2日間。このしおりを持った子どもたちがどうすごしたか、二つ紹介する。

「先生、つぎどこ行くの?」
 と尋ねにくる子にたいして、ぼくは、
「しおりに聞いたらどうですか」
 と答えるつもりでいた。しおりには日程がすべて書いてある。安易に他人に頼らず自分で調べなさい、というつもりのことばである。
 せっかく用意したことばだったが、こう尋ねにきた子は2人しかいなかった。

 全員が集合することが何度もある。そのときに、
「静かにしなさい、話を聞きなさい」
 ということばをどの先生も一度も使わなかった。話をする先生が最初のひとことを発すると、それまでざわざわしていた子どもたちの顔がさっと先生の方に集中するのである。

 このような子どもたちの様子を見て、しおりに書いた「心がまえ」がよかったのだろうと、ぼくはひそかに喜んでいた。


 ところで、こんなこともあった。

 夕食後、食べ終わった子どもたちが食器をどうするか、隣の先生といっしょに見物していた。
 ほとんどの子どもたちは、食器を種類別に仕分けして重ねていたが、ぼくの目の前にいた数人の子は、自分が使った食器を重ねて置いてあるだけだった。

 その中の一人がクラスの子どもだったので、
「まわりを見回してごらん。どこか違ってないかい?」
 と声をかけ、かたづけをやり直させた。

 別の子には、隣の先生がこう話しかけた。
「洗う人のことを考えてごらん。140枚も同じお皿を洗うんだよ」
 言われた子はすぐに気づき、食器をそろえ直した。

 二つのことばをくらべると、どちらが子どもの心に届いているかよくわかる。
 ぼくのことばは、食器をそろえることだけを求めている。それにたいして隣の先生のことばは、なぜそうするのかまで考えさせている。それだけ子どもの心を動かしている。

 なかなかの「心がまえ」を思いついたといい気になっていたが、自分の未熟さを痛感した。

 子どもの心を動かすことばは、むずかしい。

*初出『教師の友』(日本基督教団出版局)1989年8月号

web『たまてばこ』 No.352 2003-03-25-Tue


ほめる

子どもを見る目6

 毛筆も硬筆も、ぼくは“自己流金釘派”の開祖を自認している。つまりは悪筆である。どうせうまくなるわけないと、子どものころからあきらめていた。

 そんなぼくが、何の因果か教師になってしまった。それも小学校の教師に。

 自分の書いた字を人様にさらす機会が多い職業である。ワープロでごまかせるものもないではないが、運悪く(?)1年生の担任ともなれば、ひらがな、カタカナ、漢字と、子どものお手本となる字をひととおり教え、書かなければならない。

 そこで、新任の年に一念発起して字を習い始めた。といっても、『ボールペン字の基礎練習』なる本を頼りに一人で練習するだけのこと。夏休みになってから始めたが、三日坊主ならぬ三週間坊主でやめてしまった。めんどうくささとあきらめの気持ちが半々だったと思う。


 新任の年の“一年発起”が頓挫して数年後のこと。
 子どもたちの作文ノートのために、ことわざや格言などをあしらったしおりを作ってあげる、ということを始めた。色画用紙を細長く切ったものに、リクエストされたことばをマジックで書いてあげるだけだが、金釘派の字を子どもたちはけっこう喜んでくれる。お手本を見ながらていねいに書く練習にもなるので、一石二鳥である。

 ところが、せっかくのしおりをノートにはさんでいない女の子がいた。なくしたわけでもあるまいしと思い、その子にわけを尋ねてみた。

「先生の字がじょうずだから、勉強机の前にしおりを飾ってながめている」
 というではないか。聞いた瞬間、顔が赤くなり、
「やめてくれ」
 とさけんでしまった。

 なにせその子の字はぼくと比べものにならないほどうまい。毛筆など、書き初め大会で賞をもらったほどである。その子に「飾って、ながめている」と言われたのだから、「やめてくれ」どころではない。行って、しおりをはがしてきたいくらいである。
 
 そのときから、ぼくが何か書くごとに彼女は、
「先生の字はうまい。じょうずだ」
 を連発するようになった。ちょっとていねいに書いたものを見ると、拍手までしてくれる。

 こうなると、ぼくも自分の字はまんざらではないと思うようになる。拍手をしてくれる顔を思うと、字を書くのがいやでなくなってくる。


 相変わらずの自己流金釘派でしおりの字を書きながら、ふと思った。

 ほめるということはこういうことなんだ。どんなに字が下手でも、いつも笑顔で「うまい、じょうずだ」とほめられていれば、いつのまにかその気になってくる。自信がつき、たくさん練習するようになり、その結果、力もついてくる。

 大人のぼくでさえこんなに変わる。まして子どもは、ほめられればほめられるほどその気になり、力を発揮するだろう。

 子どもをほめること、ほめ続けることの大切さを、はからずも子どもから学ぶことになったという次第。

(ただし、これは頭ではわかっていてもなかなかできることではない。ほめ続けることとなるとなおさら難しい。一つほめ、十注意する、の毎日である)

*初出『教師の友』(日本基督教団出版局)1989年9月号

web『たまてばこ』 No.353 2003-04-05-Sat


窓閉め

子どもを見る目7

 7月はじめの暑い日。5校時の体育が終わって帰りがけ、窓を閉めて帰ろうとすると、
「暑いから開けておきます。閉めて帰ります」
 窓際で遊んでいる子どもたちから、そういう声が返ってきた。

「じゃあ、お願い。会議があるから先に出るよ」
 と言い残して、ぼくは教室をあとにした。

 2時間ほどたって、教室に戻った。窓が開けっぱなしになっている。5か所も。先ほどの子が開けた窓のほかにも開いている。こんなことは6年生になって初めてだ。
 たかが窓の閉め忘れではあるが、ここにクラス全体の生活のくずれを感じた。

 じつは、梅雨に入るころからクラスの様子がなんとなくおかしくなっていた。悪いカゼがはやり欠席者が10人という日が続いたせいか、授業に落ち着きがなくなっていた。また、忘れ物をする子が目に見えて増えたり、掃除当番がいいかげんになったりと、くずれの兆候が続いていた。

 そこへこの「窓閉め事件」である。何か手をうたなくてはならない。


 翌朝、「窓閉め事件」のあらましと、最近の生活のくずれのことを子どもたちに話し、考えさせた。

「だれが開けたか、閉めなかったかは問題ではありません。これからどうしたらいいか、一人ひとり自分の考えを言ってください。全員が言い終わるまで待ちます。どうぞ」

「これから、帰りに窓を閉めるように、みんなが気をつければいいと思います」
「さいごの人が無責任だと窓が閉められないので、日直が下校時刻まで残って、窓を閉めて帰ればいいと思います」

 10分ほどで全員が発言した。出された意見はこの二つに大別された。

「みんなが自分の意見を言えたことは評価します。いい意見もたくさん出ています。でも、44人もの人が発言したのに、ただの一度も出てこなかったことばがあります。とても大切なことばです。何だかわかりますか?」

 首をかしげる子どもたち。ぶつぶつ言うのが聞こえるが、どれも見当はずれのことばかりだった。

「それは、『私がやります』ということばです。『みんなが気をつければいい』という意見、納得しやすい意見ですね。でもこれには落とし穴があるのです。『みんな』ってだれですか? 『一人ひとり』ってだれですか? これ、他人まかせでしょう。気をつけるのは『みんな』じゃないんです。この『私』なんです。44人のだれ一人として『これからは私が窓を閉めて帰ります』とは言わなかったでしょう」

 最後に、
「『私がやります』と言えるクラスにしよう」
 となげかけ、長い話を締めくくった。子どもたちは神妙に聞いていた。ぼくの言いたいことを少しでも感じてくれただろうか。


 1学期の終業式があった日の夜、納涼会と称してクラスみんなで学校に集まった。花火、怪談話、肝だめしと、楽しいひとときを過ごした。

 翌朝早く、運動場に散らばった花火をかたづけに、4人の子が集まってくれた。2学期に期待が持てるできごとだった。

*初出『教師の友』(日本基督教団出版局)1989年10月号

web『たまてばこ』 No.354 2003-04-12-Sat


学級委員

子どもを見る目8

 ぼくの小学校時代のことである。

 登ってはいけない石のすべり台があった。いたずらざかりの男性軍(もちろんぼくも含めて)は、禁止令もなんのその、平気で登って遊ぶ。
 そこへやってきた女性軍。ルール破りをとがめるべく、独特の節回しでいっせいに声をあげる。

「がっきゅういいーん」

 学級委員を呼んで注意してもらう、というわけだ。やめなければ学級委員が先生にご注進に及ぶ、という意味も含まれていただろう。
 さらには、すべり台に登っている男子学級委員にむかい、学級委員のくせにそんなことをしていいのか、というとがめの意味もこめられていたかもしれない。


 こんどは教師になってからのこと。

 6年生の修学旅行に付き添いとして参加した。2日目に、湖畔をハイキングするというプログラムがあった。前夜遅くまで楽しんでいたせいか、子どもたちはかなり疲れているようだ。列が長くなっていく。

 最後尾は、ほかからかなり遅れてしまった女の子の班である。そこから脱落しそうな子さえいる。列を整えるのに班長が苦労している。
 そのうちに仲違いがはじまった。2人の女の子が班で取り決めた順番をはずれて別行動をとった、というのが原因だった。

 6年生が歩く順番でもめるなんて、となかばあきれ顔で見ていた。そのうちに聞こえたことばが、

「がっきゅういいーん」

 驚いたのなんの、20年前とまったく同じ節回しである。

 ぼくの驚きをよそに、呼ばれてかけつけた学級委員の女の子はなんとかしようと必死になっていた。班長に事情を聞き、班員をなだめ、遅れがちな2人を励ましと、けなげなほどだった。

 ここで声をかけた。

「なぜ学級委員を呼ばないといけないのかな。こんなこと、班の中でなんとかできるでしょう。いつもそうしているのかい。これ、学級委員の仕事なのかな」

 たてつづけに問われた子どもたちは、答えてくれなかった。ぼくの質問がピンとこないようだった。あたりまえのことをしているのに、先生は何を言っているのだろう、という顔だった。


 「学級委員」という制度そのものが悪いのではないだろう。問題は制度の機能のさせ方にある。

 学級委員制は、一般に、子どもにリーダーシップを育てること、民主的な学級をつくること、を目的としている。
 だが、上に書いたどちらの場合も、制度が本来の目的からずれてしまっている。悪い方向に進みつつさえある。

 なんと言っても、学級委員にクラスの警察官、司法官の役目を持たせているのがよくない。
 このままではリーダーとそれ以外の子どもたちとの地位を固定し、クラスに上下の序列をもたらすことにもなりかねない。

 学級委員制がうまくはたらいているクラスもあろうが、ぼくはまだこの制度を取り入れたことがない。なんとなく好きになれないのである。

*初出『教師の友』(日本基督教団出版局)1989年11月号

web『たまてばこ』 No.355 2003-04-18-Fri


可能性を信じて

子どもを見る目9

 勤務校にはプールがないので、夏休みに近くの中学校のプールを借りて水泳教室を開いている。参加を希望した70人ほどの5、6年生を、泳力に応じてグループに分けて指導する。

 ぼくが担当したのは、あと少しで25メートルに届きそうだという子、はっきり言えば「泳げない子」である。プールの壁をけって5メートルほど進めるという子がいて、あとは呼吸が数回できて15メートルがやっと、という実力者ぞろいだった。

 この子たちとの7日間が始まった。


 ぼくはまず「ドル平」という泳ぎ方を教えた。水に浮くこと、進むこと、呼吸することがセットになったとても楽な泳ぎ方である。
 コツを飲み込むのが早い子なら、10分もあれば呼吸をしながら25メートル泳げてしまう。90分ずつ3日も指導すれば、たいがいの子が泳げるようになる。

 泳力5メートルという子にもこの「ドル平」を教えた。彼はじつに熱心に練習した。何度挑戦しても、途中で足がついてしまう。それでもあきらめずにまた壁をける。正規の時間が終わったあとも、残って一人で練習している姿も見かけた。

 ぼくはこの子の熱心さにうたれ、うんと応援した。泳げるようになるまで時間はかかると思ったが、あきらめはしなかった。練習のようすを見ていて、この子なら泳げるようになるという手ごたえがあった。

 明日で水泳教室も終わるという日、彼はとうとう25メートルを泳ぎきった。最後のひとかきをして壁に手がとどいた瞬間、ぼくは彼を抱きあげ、うれしさのあまりプールの中にほうりこんでしまった。
 水からあがったその子の顔は、なんとも言えない表情で輝いていた。


 彼が25メートル泳げたことを担任の先生に報告した。とっても喜んでくれた。その先生の話で、彼がクラスでも目立たない存在であること、どちらかというと外れがちな子であることを聞いた。
 また、先生のことばの裏に「あの子が泳げるようになるなんて信じられない」というニュアンスも感じられた。

 その先生の話を聞いたあと、ぼくは自分自身をふりかえり、クラスの子どもたちの顔を思い浮かべてみた。あの子はここまでできればいいだろう、この子にはこれは無理だろうと、何か月かのつきあいの中で子どもの力を勝手に判断し、レベルを低めに設定してしまうことがなかっただろうか。

 4月。新鮮な気持ちでスタートしたはずのぼくと子どもたちとの関係。どの子も無限の可能性を秘め、輝いてみえたはずの顔、顔、顔。

 それが、一か月もすると、子どもたちがこちらの期待に応えてくれず、進歩が見られないのに業を煮やし、ついついあきらめの気持ちが先にたってしまう。
 これでは教師失格だ。

 子どもの成長のきざしは目に見えないほどかすかなものであり、花ひらくまでは気の遠くなるほど時間がかかるものである。教師はそれを信じ、待つことができなければならない。

 教師のイロハをあらためて教わった水泳教室だった。

(この小文が活字になるころには、2学期も後半にさしかかっている。反省を胸にスタートしたこの学期、どうなっていることやら)

*初出『教師の友』(日本基督教団出版局)1989年12月号

web『たまてばこ』 No.356 2003-04-23-Wed


運動会

子どもを見る目10

 運動会は終盤にきて、ますます盛りあがっていた。

 種目は男女混合の3色対抗リレー。1年生、4年生とつないできたバトンが最終走者に渡った。残りあと1周。ほぼ5メートルずつの差で、赤、黄、青の順に6年生が走っていく。

 1周約140メートルのトラックの第3コーナーにさしかかったところで、青組の走者が黄色組の走者に追いつき、外側から抜き、一歩前に出た。
 このままいけば前を走る赤組をも抜き去り、青の1位まちがいなし、とだれもが思った。その瞬間に、青に抜かれた黄色の走者が転倒した。

 自分が抜いた黄色の走者が転倒したことに気づいた青の子は、スピードを落とし、後ろを振り返り振り返りしながら2位でゴールした。


 運動会が終わってから、転倒した黄色の子をなぐさめるつもりでことばをかけた。

「おしかったね。青の子がぶつかったのでしょう」
「ううん。自分でころんだの」

 青の子が接触したかどうかは、転倒した黄色の子にしかわからない。「青の子がぶつかった」と主張してもおかしくない状況であったし、そう言えば青は失格になり、黄色が2位にあがることもできる。
 ところが黄色の子はきっぱりと否定した。けっして青の子がぶつかったとは言わなかった。

 翌日、黄色の子のお母さんからこんなお便りをいただいた。

「リレーのアンカーで転んだことも、良い思い出になったようです。以前の娘なら、家に帰ってからそのことに触れただけで大変な騒ぎになったでしょう。でも今回は大丈夫。笑いながら話してくれました。成長したんでねす」

 ぼくのみえすいたなぐさめのことばを退け、「ころんだのは自分がいけない」ときっぱり言い切った彼女の心の成長に胸を熱くした。


「なぜスピードを落としたの? あのまま走り続けていれば1位になれたのに」

 残念だなという気持ちをこめて、もう一人の当事者である青の子にも、ぼくはことばをかけた。

「内側に入るのが早すぎて、自分のバトンが黄色の子にあたったような気がした。反則だと思ったので力を抜いた」

 という答えが返ってきた。反則かどうかはあとで審判が決めることだから、あのまま走り続けるべきだった、スピードを落としたのは君の弱さのあらわれだ、という意味のことばをぼくは彼に言った。

 このことについて、ある先生にこう言われた。

「あそこでペースを落としたところが、彼のいいところだ。ころんだ子に気をつかって走る優しさ、彼はスターだよ」

 ぼくははっとした。これまでずっと、彼はここ一番に弱い子だ、強くなってほしい、と願ってきたが、そうではないのだ。「弱さ」と思えたあの行動が、彼のいいところなのだ。「優しさ」なのだ。

 少しばかり自信を持っていたぼくの「子どもを見る目」が根本から揺さぶられる指摘であった。

 運動会でうまれた一つのドラマ。子どもの成長にたしかな手ごたえを感じ、また、みずからの拙さを思い知らされた。

*初出『教師の友』(日本基督教団出版局)1990年1月号

web『たまてばこ』 No.357 2003-04-26-Sat


悩んで成長する

子どもを見る目11

 子どもたちに作文ノートを持たせ、毎日作文を書かせている。
 もっとも、「作文」といっても、書いてくるものは日記、クイズ、授業記録など、バラエティーに富んでいてなかなかおもしろい。

 作文を毎日書かせるねらいはいくつかあるが、その一つに、6年生の子どもたちが自分を見つめ、自分について考える機会をつくること、がある。その作文ノートから生まれたエピソード。


 9月の末、一人の女の子が「学校がつまらない」という作文を書いてきた。つまらない理由の一つが、自分にとりえがないことだという。

 第二に、とりえがないこと。Aさんは知せい、Bさんはピアノ、Cくんはスポーツ、DくんやEさんは水泳、Fくんは算数、GくんとHくんは社会、Iくんは明るい。わたしっていえば、ちゅうとはんぱで、なんにもない、というか、どれもこれもズバぬけていいわけじゃない。
 時々そういうことを思うと、変だし、なにか見つけようと思っても、なかなか。


 6年生の2学期になると、このような自分を見つめて書いた作文が、とくに「悩み」について書いたものが増えてくる。
 クラスの子どもたちは、運動会という一つの大きな山を乗り越えたところ。新たな問題をなげかけ、うんと考えさせ、成長のきっかけにするのにちょうどよい機会と判断した。

 そこで運動会の翌日、授業を1時間つぶして、この作文を紹介しながら、およそこんな話をした。

「この作文を書いた女の子は心が成長している。悩んでいるからだ。人間は悩みがあって当然。いや、悩みがあるからこそ人間なのだ。
 彼女は自分にとりえがないという。たしかにそう思えるかもしれない。だからこそ、これからの人生で自分のとりえをさがすのだ。それが生きるということだ。
 みんなは人生の入り口に立ったところ。自分を見つける旅が、いま始まったのだ。
 『自分』て何だ。おおいに悩め」


 この日のぼくの話に感じてか、翌日、何人かの子が「とりえがない」と悩みを書いた作文を持ってきた。そのうちの一人の作文。これも女の子。

 私も、先生が2番目によんだ人とはっきりいって同じです。自分のとりえがわからないんです。だから「とくいなものは」ってきかれても、答えられません。
 (中略) それで、なやみのなさそうな弟をみていると、うらやましくなって、はらがたってきちゃう。


 子どもたちが悩みはじめたこともうれしいが、それ以上にうれしいことは、ある子が友だちの悩みを聞き、それをきっかけに自分も考え、悩み、そして作文に書いてくる、そんな“意見のキャッチボール”ができるクラスになってきたことである。


 ところで、ぼくの熱弁について、作文ノートにこんな感想も書かれていた。これは男の子。

 今日の授業はとってもラッキーだった。なんせ、ほとんどが先生の話だったから、まともな授業が一つもないから、きらくに話をきいてるだけだから、これほどラッキーなことはない」

 一つのきっかけで全員が動く、というわけにはなかなかいかない。それが子どもなのだろうな。

 多難な日々が続く。

*初出『教師の友』(日本基督教団出版局)1990年2月号

web『たまてばこ』 No.358 2003-04-27-Sun


意識のズレ

子どもを見る目12

 Y小祭という行事を秋に催すようになって、今年で3年目になる。

 1年生から6年生までの20クラスが、各クラスごとに店を開いたり、遊びの部屋を作ったり、劇を演じたりと、なかなかにぎやかである。中学や高校で行われている「文化祭」の小学校版と言ったらわかりやすいだろう。

 わが6年2組では、小学校最後のY小祭だから思い出に残る出し物にしたい、ほかのクラスにはないものをやりたいと学級会で話し合い、仮装行列をやることになった。社会科で日本の歴史を学習していることもあり、歴史上のいくつかの時代を選び、その風俗習慣を衣装で表現しよう、という趣旨である。

 クラスが4つのグループにわかれ、平安時代の貴族の生活、江戸時代の大名行列、明治時代の鹿鳴館の舞踏会、第2次世界大戦のころの日本人、を演じることになった。


 平安時代の仮装では、華やかな十二単衣をどう表現するかが難題であった。子どもたちは、とくに清少納言や紫式部に憧れている女の子たちは、資料を何冊も調べ、着物を引っ張りだしては、ああでもない、こうでもないとやっていた。

 結局、シーツや風呂敷を何枚か重ねてたくさん着ているように見せ、いちばん上に母親に借りた着物を着るという方法に落ちついたようだ。

 「ようだ」というのは、じつは、当日までぼくも各グループがどんな衣装を着て行列をするのか、ほとんど知らなかったのである。
 子どもに請われるままに、マジックを貸したり画用紙を用意したりはしていたが、衣装そのものについては任せっきり。進行状況のチェックをするぐらいしか手を出さなかった。

 十二単衣も、まさか本物の着物を持ち込むとはと当日になってあわてたが、今さらなにを言っても仕方がない。なるようになれで、やらせてしまった。


 仮装行列は、校内の廊下を15分ほどかけて練り歩き、それを3回繰り返した。

 終わって緊張感から解放されたのか、平安貴族の女性に扮した女の子たちの口が軽い。
 彼女たちが矢継ぎ早に話すのは、

「オバサンたちはうるさい。着物が汚れる、大丈夫かしらなんて、そんなことばかり言って、私たちの一生懸命やっている顔をまるで見てくれない」

 という不平ばかり。

 着物を汚さないために下にあて布をするなど準備はしてあるし、母親にも使っていいと許可をもらっているのだから、着物の心配をするよりも自分たちがここまでやった努力と工夫を見てほしい。そういう子どもたちの言い分はもっともである。

 しかし、親にしてみれば、努力や工夫に目がいく前に、高価な着物を着て、裾をひきずりながら歩いていることをまず気にしてしまう。それもまことにもっともなことであり、よくわかる。

 こんなことから子どもと親の意識がズレていくのだなあと、妙なところで感心してしまった。

 ぼく自身のことでいえば、教師たるもの子どもの目も親の目も両方とも持てるようになりたい、どちらの立場もわかったうえで妥当な判断を下せるようになりたい、と常々心がけてはいる。

*初出『教師の友』(日本基督教団出版局)1990年3月号

web『たまてばこ』 No.359 2003-04-29-Tue