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web『たまてばこ』300号記念特集

日記のすすめ

300号記念にしたためた“ひげうさぎ日記人生”をどうぞ



青春日記

日記のすすめ1

 過去に3度、日記を書いていたことがある。

 最初に書き始めたのは高校1年生の3学期。銀行の粗品によくある手のひらサイズの手帳(←今はくれないか)に、その日のできごとを6行、字数にして200字ほど書きつけていた。同じような記録をつけていた父に勧められたのがきっかけだった。

 日記(?)を書き始めてから、何んとなく一日一日が今までと違う感じがする。今までと違った何かがある。まだ字では表せない。

 スタートして1週間の文。最初のページからブルーブラックのミミズがのたうちまわっている。内容も青臭い。

「『違う感じ』って、どんな感じだろう? よく考えてごらん」
 15歳の自分の日記にコメントしたくなる。
 表記もおかしいので、ついでに添削。

 字で表す → 文章に表す
 何んとなく → 何となく

 もうひとこと付け加えたい。

「字をていねいに!」


 今11:40ごろになって、なにもかもむしゃくしゃしてたまらなくなった。なんといったらいいのか、自分の感情をどうにも抑えられなくなった。とにかくなんでもむしゃくしゃする。試験がたくさんつまってるし、金もないし、鼻はつまるし、Sゼミもつまるし、とにかくもうどうしようもない。学校もescapeしたいが、ここでそうしてはもうおしまいだ。なんとかがんばらなくちゃー。
 KさんにKISSのチケットを頼んでみたが、果たしてどうなるか?

 これだけの短いスペースの中に、まとまった、意味のわかる、簡潔でいて考えさせる(?)文章を書くのはたいへんむずかしい。(和訳みたい) 朝日新聞の天声人語みたいな文が書けるようになれば、などと思っているが、年月がかかるだろう。今までの俺が書いた文章で、そのような文章があっただろうか(反語)。
 そういえば、Sは今日休んでいた。



 読み返すと、だれとどこへ行って何をしたかの記録と、自分とまわりの人と世の中にたいするイライラ、愚痴、文句ばかりが書きつらねてある。上の2編はまだましなほう。
 若者の苦悩を赤裸々に表現する日記を書きたい──文学青年を気取っていたつもりが、内容はまったくない。いま担任しているクラスの子のほうがよほど上等な文章を書いている。こんなはずではなかった...。

 それにしても、よくも飽きずに書きつづけたものだ。日記にたいする先生のコメントや添削があったりしたら、数日でめげてしまったに違いない。
(もっとも、こんな日記にコメントを書かされる先生も苦労するだろう)

 だが、「手帳日記」はまったくのプライベートな日記。だれからもコメントされない。ほかのだれも読むことがない。
 それがよかったのだろう、受験、進学、就職を経て結婚する前年まで、11年間も書きつづけることができた。

 いまも残る11冊の手帳は“ひげ”の青春時代の気恥ずかしい記録である。いつまでも引出しの奥底に封印しておきたい。

web『たまてばこ』 No.301 2002-02-04-Mon


200字日記

日記のすすめ2

 「手帳日記」が途絶えてから数年後、思いたって「200字日記」を書き始めた。

 200字日記...文字どおり“200字”だけ書く日記だ。手帳ではなくワープロ ── 小型テレビのような代物だが、当時の最先端機種だった ── を使って書いていた。

 1行20字に設定した画面に文章をうめていき、10行目の最後の1マスに句点を打つ。これを理想とする、まさに“200字”日記だった。


 【ひげ】
 2年半ほどたくわえていた口ひげを剃った。ひさしぶりに会った友人に、開口一番「きったねー」と言われたのが直接の原因である。
 鼻の下とあごに生やしていたうち、剃ったのはあごの方。鼻の下の八の字は残してある。
 さぞや「きれい」になっただろうと自己満足にひたっていたのに、誰も気づいてくれない。つれあい、娘、両親、親戚、同僚、果てはクラスの子どもたちまで、誰一人。
 あってもなくても同じだったのかしら。

 【紺屋の白袴】
「これからの学校図書館はマルチメディアの時代です。学習センター、メディアセンターとしての図書館の理念のもと、図書以外の資料の充実につとめ、スライド、ビデオ、コンピュータ、CD、LDなどを活用し...」
 と力説する講義を拝聴する。一日6時間を2日半。およそ15時間におよぶその大学教授の講義に登場したメディアは、チョークに黒板、それにマイク1本だけ。
 マルチメディアが聞いて呆れるぜ!



 一読してわかるとおり、“日記”でありながら“日記”ではない。日々の行動と感想(多くの場合それは不平不満のオンパレードになってしまう)は書かず、身のまわりのできごとに取材し、読者を想定したひとまとまりの文章を書くようにしていた。身辺雑記、カッコよくいえば随筆=エッセイのつもりだった。

 と言っても、書いたものをだれかに読んでもらっていたわけではない。いつの日か文章が売れるようになったとき、
「若いころの日記発見! 文章修行の貴重な記録!」
 などともったいぶって公開しようと夢想していただけのこと。

 1995年の正月に書き始め、秋までに数十篇書いた記憶がある。後日の公開に耐えうる(!)内容と文体に練りあげる労力が必要だったので、さすがに毎日は続けられなかった。

 残念なことに、そのデータを保存したFDが見あたらない。当時の目論見はもろくも崩れ去ってしまった...文章も売れてないけどね。

 その後、ある冊子の埋め草に2ページほど頼まれた原稿として、書きためた「200字日記」から数編を掲載していただいたことがある。いま手元に残っているのはそのコピーだけ。もったいないことをした。


 【冬来たりなば】
 大寒の朝。バイク通勤は寒さがことさら身にしみる。スキー用ジャンパーでも完全には防寒できず、ヘルメットのシールドの隙間からは刺すような風が容赦なく頬と耳をつく。空き地には霜が降り、車のフロントガラスも凍りついている。背を丸めて先を急ぐ。
 一時停止したときに背を伸ばし見上げると、わずかにふくらんだハクモクレンのつぼみが目に入った。水仙は甘い香りをただよわせ、梅の便りも届き始めている。春遠からじ。

 【写真】
 「ぞうれっしゃがやってきた」音楽会に同僚と一緒に参加した。担任している子を含め顔見知りの子がたくさんいて、本番を待つあいだも何かと子どもたちの世話を焼いていた。
 後日、その場面が載った情報誌を見てびっくり。「楽屋では、父兄がニコニコ顔で出演の子どもたちを迎える」とキャプションにあるではないか。「合唱団員」のはずが、いつのまにか「父兄」にされてしまった。故意ではないにしても、写真必ずしも真ならず。



 こうして読んでみると、内容といい文体といいオチのつけ方といい、いま書いている文章にそっくりだ。『web たまてばこ』のルーツはここにあったのか。


 なにげなく書棚を見ていたら、こんな本が目に入った。

『読ませる二〇〇字文章の書き方』(松岡由綺雄/ごま書房)

 自分が一番言いたいことを、二〇〇字にまとめてみよう。たった二〇〇字で言おうとすれば、ムダなことばやダラダラした表現ではとても無理だ。伝えたいことを的確に表現するには、なにはともあれ、短い文章を書いてみることだ。

カバーの紹介文から抜粋


 「文章上達のために二〇〇字文章を書こう」という趣旨の本。ざっと読み返してみると、いま文章を書くときに気をつけていることの多くが項目だてて記されている。
 曰く、主語と述語を離さない、「〜し、〜し」とつなげない、接続詞を使わない、「が」を多用しない、「すごい・美しい」など安易な形容詞は使わない、推敲は最低3回、などなど。

 1995年1月4日購入の記録があるから、この本がきっかけになって「200字日記」が生まれたことはほぼ間違いない。『web たまてばこ』のルーツの「200字日記」のルーツはここにあったのか。

web『たまてばこ』 No.302 2002-02-10-Sun


3行日記

日記のすすめ3

 一年の計はたしかに元日にあるらしい。3度目の日記挑戦も正月からだった。

 「200字日記」に挫折してから3年後の1988年1月1日、こんどは「3行日記」を書き始めた。そのころ使っていたワープロ専用機(当オフィスの2代目ワープロ)を1行35字に設定し、1日に3行、すなわち「100字日記」で気軽に長続きさせようという魂胆だった。
 その記念すべき第1回の記述。


 1月1日(木)
 今年は「上り線開通」の年越しだった。3日前にTAKU、1日前に“ひめ”が吐いていたのを横目で見ながら「オレは大丈夫だもんね」と強がっていたのが、紅白の最中にKANAが吐いたのを片づけているうちに気持ち悪くなり、年の明けるころから夜の明けるころまで、30分〜1時間おきにトイレに通っていた。おかげで文字通りの寝正月。
 元日の年賀状は60通ほど。T委員長・K副委員長(次期書記長)からも来信。意味ありげな面々、昨年はなかったのに。夜になって少し楽になったので、教え子(このコトバ使いたくないけれど、適当な表現が見つからない)の分に返事を書く。「とらねこ級」のFさんがT大学○課程、NさんがT大学○科に合格とのしらせ。まずはめでたい。



 なんのことはない、35字×11行も書いている。

「年明けとともに朝まで吐く。年賀状60通ほど来信。委員長・副委員長からも意味ありげなメッセージ。“とらねこ級”のFさん、Tさんからは大学合格のしらせ」

 「3行日記」ならばこの程度に要約すればいいものを、生来の性分なのか“文章”にこだわり、ついつい長くなってしまう。1日3行のはずが11行になり、22行になり、いつしか33行(=B5版1ページ分)にまで増殖し、書いていた3か月のあいだに60ページ、原稿用紙180枚分もの大作ができあがってしまった。


 1月某日
 雪解け水が凍っている。1週間以上ごぶさたしていたすきとおるような青空が帰ってきた。暖冬、3度の大雪と、1月らしからぬ天候が続いていたが、ようやく「冬」になった。今日は大寒。寒さは好きではないが、暦どおりの天気になるとなんとなくほっとする。
 路側帯にはかたまった雪が残っている。チェーンで削られたアスファルトに泥がまざり、灰色の岩山のようだ。陽があたって雪が解け、水が流れ出して初めて雪だったとわかる。バイクで走っていると、直線道路の200mほど先がかすんで見える。チェーン後遺症で土埃が舞い上がっているのだろう。空の青さと対照的だ。しばらく寒い日が続くとのこと。

 2月某日
 雪。寒い。午前中には止み、積もることはなかった。回復したと思っていたのどの状態がまた悪化。上気道炎の典型的な症状だ。
 江國滋の癌闘病記『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』(新潮社)を昨日から読み始め、今日読了。絶望的な状況下でも日録を記していこうとする気力と、壮絶な闘病の様子に圧倒される。つらさの中にも江國一流のユーモアが全編にあふれていて、そのユーモアに隠された悲しみがまた感動をさそう。
 ところで、これが今年最初の読了書。一か月半にわたって書物から遠ざかっていたことになる。1冊終わると調子づく。昨日と今日の2日間で計4冊。江國以外は暇つぶしの読み物ばかりだけれど。



 「3行日記」を書いていたのは労働組合の役員を務めていた時期とちょうど重なっている。組合員3000人弱の教職員組合。その執行部として3年間“おつとめ”していたころだった(役職はヒラの執行委員だったけれど)。

 したがって、日記には労組執行部として行動した内容も多く書かれている。分会オルグ、教育委員会交渉、中央委員会での質疑応答、執行委員会記録、鹿児島の全国教研見聞録などなど。公開すれば「教組の内幕を暴露!」などという見出しにつながりかねない内容も含まれていたりして...。


 3月某日
 午前中は定期大会の議案書き。データを見ると1か月前に手をつけてからずっとご無沙汰していた。長いあいだ寝かせておいて熟成が進んだのか、仕事がはかどる。予定の半分ほど終了。
 午後、定例の執行委員会。13時40分に始まり、終わったのが18時40分。いかに大事な内容だとはいえ、休憩なしの5時間ぶっ続け会議は狂気の沙汰だ。執行委員会後に自分の仕事をしようと思っても、時間と体力、それに気力も残っていない。それでも地区の打ち合わせが終わってから連絡文書の封筒入れをする。20時30分前に帰宅。22時には床に就く。
 執行委員会の主な議題。オルグの報告と中央委員会での対応、2月教研の総括、議案検討、T小の問題。たしかに時間がかかる問題ばかり。日程調整の結果、今週と来週のスケジュールが再びブルーに染まる。今週は火曜から土曜まで、来週は月曜から金曜まで、どちらも5日連続で外での行動が予定されている。



 これはまだ刺激が少ないほう。日記を通読すると、一執行委員の目で見た組合運動と組合活動についてドキッとする記述が散見される。興味深い記録だが、これ以上表の世界に出してはいけないものだろう。


 増殖してふくれあがった「3行日記」。 B5版1ページほどの分量を毎日書いていればさすがに息切れしてしまう。4月から「教文部長」という業務の担当になったこともあり、FDに保存したデータは3月31日をもって途絶えている。

web『たまてばこ』 No.303 2002-02-16-Sat


そして『web たまてばこ』へ

日記のすすめ4

 学級担任になるとかならず学級通信を発行している。クラスのようす、授業の一コマ、担任の思い、子どもの作文、制作した作品紹介などをB4版のプリント1枚に詰めこんで、ほぼ日刊で書きつづけてきた。
 通算13年で3000号以上、原稿用紙にして軽く1万枚は越えているだろう。質はともかくとして、量だけは流行作家なみ、かな。

 今年度はもちあがりの6年生。5年生の『たまてばこ』を引きついで『たまてばこ2001』と題した学級通信を、やはり日刊で発行している。

「あけてビックリ たまてばこ」

 一般的な「学級通信」の固定観念を打ち破り、なにが飛びだすかお楽しみ ── そんな意味をこめた命名である。
 じっさいのところ、タイトルを「びっくりばこ」と間違えてくださった保護者もいたほどで、「あけてビックリ たまてばこ」の本領は発揮できている、と思う。

 しかし、毎日発行とはいえ、しょせん学級通信は日記とは別ものでしかない。読者はクラスの子ども、保護者、そして一部の同僚にかぎられる。取りあげるテーマも一定の枠(かなり大きなものだけれど)をはみ出すことはできない。


 日記に化けそこねた『たまてばこ』を書き始めて半年たったころのこと。
 ふと思いついてHPを開設し、ふと思いついて日記のコーナーをつくり、ふと思いついて『web たまてばこ』と命名し、ふと思いついたことを書きつづけ...足かけ3年、実質1年と4か月、試行錯誤をくりかえしながら駄文を300編UPすることができた。

 過去3回の日記は、長く続いたこともあったが、最終的には挫折してしまった。今回の挑戦が“四度目の正直”になるか、“三度あることは四度ある”になるか。

 自由なテーマで書けること(陥入爪の手術を学級通信に書くわけにはいかないでしょ)、字数の制約がないこと(学級通信は1枚ぴったりのレイアウトが必要でしょ)、読む気のある人に読んでもらえること(保護者に担任の勝手な文章を押しつけるわけにはいかないでしょ)、WEBで公開できること(印刷したり配ったりの手間がいらないでしょ)、そして日刊にこだわらなくてよいこと(こだわっているのは“ひげ”だけでしょ)...。

 こんな気ままな発行形態がフィットし、いまのところ閉鎖の予定は、ない。GaiaX の過去ログ保存1000件めざし、細く長く続けていきたい。


 『web たまてばこ』ならびに「おふぃす ひげうさぎ」をご贔屓にしてくださっているみなさん、いつもありがとうございます。

 東海林さだおの文体をまねし、本多勝一の文章論に啓発され、椎名誠の赤マントを気取り、三谷幸喜の“ありふれた生活”にあこがれ、その他さまざまなものから学びながら、“ひげうさぎ風”の文章を模索しているところです。

 今後ともひまつぶしの雑文駄文におつきあいのほど、どうぞよろしくお願いします。

web『たまてばこ』 No.304 2002-02-24-Sun